日本民藝館

展示

併設展

本館1階

玄関回廊『白樺』時代の蒐集 1910–1923

後に小説家として大成する志賀直哉や武者小路実篤らと共に、21歳で雑誌『白樺』創刊に参加した柳宗悦。ほぼ毎号にわたる論文の寄稿と、掲載される西洋美術の図版選定などに大きく関わる一方で、白樺時代の中期からは、中国や朝鮮の陶磁を始めとする東洋美術に関心を寄せていきます。はじめに、柳が蒐集を出発させた『白樺』時代のコレクションを紹介します。

第1室丹波焼の蒐集 1949–1961

初期民芸運動においても注目された丹波焼ですが、集中的に蒐集が行われたのは晩年に当たります。それらの多くは、焼成中に薪の灰が器表に掛かった「灰被(はいかつぎ)」と呼ばれる品で、火・土・木という自然の恵みを存分に受けたものでした。本展示では、柳が晩年の10年程の間に蒐集した古丹波焼を紹介します。

第2室「抽象」と「破形」

柳は晩年「奇数の美」「抽象美について」「日本の眼」などを著し、先住民族の造形に見られる原始的な抽象文や、日本の鑑賞史で取り上げられてきた疵やゆがみなどに見られる「破形」の造形に注目しています。1958年の「抽象紋特集」の図版掲載品(『民藝』63号、多くが戦後の蒐集)を中心に、「抽象」と「破形」の造形を紹介します。

第3室仏教美学 1946–1961

晩年の柳は、造形物に美が宿る原理を仏教思想に求めましたが、同時に仏教に関連する造形も多く蒐集しています。本展示では、柳の思想形成に大きな影響を及ぼした、浄土門の造形を中心に、仏教画や経典・仏教版画などを紹介します。

本館2階

第1室朝鮮の美術 1914–

1914年、千葉県・我孫子の柳邸に保管されていたロダンの彫刻を見るために朝鮮半島から訪れた浅川伯教。手土産の「染付秋草文面取壺(瓢形瓶部分)」に大いに感銘を受けた柳は、当時評価されていなかった陶磁器を始めとする朝鮮工芸を精力的に集め、1924年にはソウルに「朝鮮民族美術館」を開設します。蒐集は晩年まで続きますが、本展では戦前までの蒐集を紹介します。

第2室雑器の美 1924–1931

木喰仏「地蔵菩薩像」の発見を機に、木喰上人の調査のため全国を訪ね歩いた柳宗悦。その調査が、図らずも地方の下手(げて)な実用工芸、「雑器」に眼を向ける契機ともなります。1926年には「日本民藝美術館設立趣意書」を起草。美術館設立に向けて、盟友の陶芸家・河井寬次郎や濱田庄司らと蒐集に努めた工芸品を中心に展示します。

第3室特集展示 宗悦清玩

蒐集品の中には、収納箱や軸書に「宗悦清玩」と墨書したものが絵画を中心に残されています。本展示室ではそれらに加え、「物偈」(物の美を讃えた短句)が記されたものや、柳が一文を草した蒐集品をあわせ、「清玩」されたコレクションを特集します。

第4室『工藝』創刊 1931–1951

柳らが見い出した工芸品が次々に掲載された1931年創刊の雑誌『工藝』は、「民芸」という新しい概念の普及に大きな役割を果たしました。表紙は芹沢銈介らによる装幀で、1951年までに全120号が刊行されています。雑誌自体が一つの工芸品とも呼ぶべき『工藝』とともに、掲載された様々な工芸品を、館蔵品から紹介します。

西館(旧柳宗悦邸)※西館公開日のみご覧いただけます。

2階柳宗悦記念室

日本を代表する思想家で、日本民藝館の創設者である柳宗悦(1889–1961)。この「柳宗悦記念室」では宗悦の身辺の品や、アルバム写真、自筆原稿、出版物などの資料を展示して、その生涯を顕彰します。

1階柳兼子記念室

女性声楽家として活躍し、また夫・宗悦の仕事を物心両面にわたり支えた柳兼子(1892–1984)。かつて音楽室として使われていたこの記念室では使用していたピアノをはじめ、自筆楽譜、演奏会プログラム、ポスターなどの資料を随時展示し、その生涯を顕彰します。

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